エクスとの出会い
― 株式会社エクス 開発統括本部 開発課 芦田 捷
私が社長と出会ったのは、当時通っていた大学で行われた立食パーティーの場である。産学連携ということが私の通っていた大学でもいわれていて、民間企業の経営者に隔週で講演をしてもらうという授業があった。私はその一連の講義には参加していなかったが、この授業を開催している部局の別の授業を受講していたこともあって、この授業の懇親会に呼んでもらったのである。
当時はまだCOVID-19以前であり、講義を担当した経営者たちが5、6人ほど、学生十数人程度、そして大学関係者の数人が、学食の一角に設けられた立食ブースに集った。和洋中、その他多くの食事や、ビール、ワインをはじめとしたアルコール類がケータリングサービスで用意されていた。その量たるや食べ盛り飲み盛りの学生たちを考量したとしても当日その場に居合わせた20~30人では食べきれないほどであった。
私も飲食しつつ、他の学生や、経営者の方とお話する機会を得た。この時は、抱社長とは話しておらず、少し遠くから不思議な雰囲気の社長がいるものだなと思っていた。場も温まり、学生も経営者も大学教職員もがないまぜになって会話をするようになった頃、ひとりの学生が倒れた。さほど多量のアルコールを飲んだわけでもなかったから、一時的な貧血のようなものだったのだろう。誰もが狼狽し、ふっ、と間ができている中、一目散にそこに駆け寄る人がいた。それが抱社長であった。体勢を整え、まず意識や呼吸の有無を確認する、という応急救護を迷わず素早く実践していた。
どうしてそんな急に行動できるのか、と後から訊ねてみれば、20年ほど前に受講した救急法講習が役に立ったとのことだった。私も数年前に自動車免許を取得した際に、救急法の基礎は学んだ。だがそれは、人命にかかわることであるだけにいっそう、その場で生きる知でなければならない。頭に詰め込むだけの知識ではなく、その場に居合わせたら動員することができる知恵として、考えるより先に行動できるほどの身体の知として、知っていなければ意味がないことなのである。その知は20年間、抱厚志という人間の中で眠っていたが、いつでも起きる準備はできていたのだ。
抱社長のあとを追うように人は集まり、皆で倒れた学生の面倒を看ていた。その甲斐あってか、学生はその後、無事回復したということである。
倒れた人がいたときに、真っ先に動けるということ。それが一番大切なことであると私は思う。目の前で人が倒れたら、その場にいる人たちには各自様々な思いが駆け巡るはずだ。何かしなければならない、でも、じゃあ実際何をしたらいいのだろう、何ができるのだろうと、考えている間に様々な想念が頭をもたげてくる。跪くことでスーツが汚れないかとか、応急救護ってどうやるんだったかとか、予定に送れるかもしれないとか、周囲の人たちの目とか、本当に今、必要ではないかもしれないあれやこれやがどんどん湧いてきてしまう。その前に瞬時に動けるということ、それはそうできることではない。やろうと思っていてもできることではないし、つまり、抱厚志という人間が普段からそのように生きているということの表れであった。
この社長、というよりもこの人と話がしてみたいと思い、二次会にも同席した。その日は就活に対する私の思いを聞いていただいた。以降はそのまま株式会社エクスの見学をさせてもらい、選考を受けるところまで至るのである。
振り返って思えば、これはどこまでも偶然の結果であった。そしてそれが偶然であるからこそ、必然にも思われてくるのである。すなわち、ここに私は「意味」を感じたのだ。
わたしは就職活動ということをほとんどしてこなかった。ひとつには、髪を切り、スーツを着て、どこにでもいるだれかとして「個性」を発揮せよ、という、矛盾を孕んだ無言かつ匿名の権力に与したくなかったからだ。何万という企業が掲載されたナビ媒体に、そこから就職先を探す何十万もの就活生。そこでどの企業やどの学生がこの人こそ、この会社こそ、という出会いを求めているのであろうか。株式会社エクスが選考プロセスを改めた経緯については「コロナ禍における採用活動~今一度“採用”のあり方を振り返る」の記事に詳しいが、ナビに登録してしまった時点で、「私」の就活が「終わる」であろうことは目に見えていた。もちろん、「どこにでもいるだれでもない私」にとっての就活はうまくいったのかもしれないが。
わたしたちは「この人でもあの人でもなく、ひと自身でもなく、幾人かの人びとでもなく、すべての人びとの総和でもない」ような「世間」に融け込んで生きている、ということを哲学者ハイデガーは『存在と時間』の中でいう。
- われわれは、ひともするような享楽や娯楽を求め、ひともするように文学や芸術を読み、観賞し、批評し、そしてまた、ひともするように「大衆」から身をひき、ひとが慨嘆するものを、やはり慨嘆している。この「ひと」―それは特定の人ではなく、総計という意味ではないが、みなの人であり、世間である。
- (マルティン・ハイデガー著、細谷貞雄訳『存在と時間 上』、276頁)
時期が近付けば「ひと」もするように就活をし、落ちては「ひと」がするように落ち込み、受かれば「ひと」がするように喜ぶ。ハイデガーは公共交通機関や、報道機関を使用することでどの他人もみな同様となっていくと言っているのであるが、やはり就活ナビのようなメディアもそこに含まれるだろう。電車やバスの利用や、メディアに触れる機会をすべて排除することはできないにしても、少なくとも、就活ナビを通すことで「ひと」になってしまうことを私は拒んでいた。
だから、もし出会わなかったなら、私は就職ができなかったのだろう。かといって働かないで生きていけるわけでもないから、もしかしたら今頃はどこかでアルバイトをしていたかもしれない。賭けであった。でも偶然に、抱厚志という人に出会ってしまった。
結果論であるといえばそれまでである。でも、偶然に開かれてあろうとするものにだけ必然はやってくるというのも事実ではないか。いつ生きるかわからない救急法を覚えていること。所謂「就活」をしないという選択において、どこかで出会いがあるかもしれない、と待つともなく待つということ。それが偶々、報われた日であったのだ。そうして今の私はここにいる。
2021年10月